sora-0812の日記

わたし、捨て子なんです(^^;)

父と50年ぶりの再会⑪

心の整理

 

あの日に遡る

 

義理の父①

(50年ぶりに再開した父)

 

8月24日に会って、泣くだけ泣きながら、

自分が誰にも望まれず生まれてきたこと、

昨日までの人生はすべて嘘だとわかったこと、

 

 

心の中がぐちゃぐちゃのまま、家に帰って来た。

 

 

家のドアノブに、メモ用紙が挟まっていた。

義理の父③からだった。

 

『ごめん、悪かった。許してほしい。これからは迷惑かけないようにするから。』

 

と書いてあった。

 

2本の杖をついて歩くのがやっとの父が、タクシーを使って、そして歩いてここまで来たんだろう、

 

また、心に重いものがのし掛かってきた。

悲しさと辛さの倍増

 

そして、わたしの心の中の葛藤が始まった。

許すべきか、許さないべきか、

そして、わたしが母から生まれた子供ではないことを知ったことを隠したまま付き合うべきか、

それとも、すべてをぶつけて、この偽りだらけの家族を崩壊するべきか、

 

 

このメモを見て、現実に戻ったわたしは、悶々と悩んだ。

その夜は、勿論眠れなかった。

 

 

ただ、唯一助けられた母からのメール。

『よほど腹立つことを言ったみたいだね、ごめんね、機嫌がなおったら電話したね』

 

と、いつもにはない内容のメール。

自己中心的な、自分のことしか考えない威圧的な言葉が入っていない。

 

わたしは、支配され洗脳されているから、この状況に置かれてて、母からいただく優しい言葉が嬉しくて、身に染みてしまう。

 

バカだと思う。

病気だと思う。

騙され続けて、洗脳されて、

もう、目を覚まさないと、

 

と、思いつつも、このメールの言葉を信用したわたし。

 

少し時間が欲しかった。

こころを整理する時間。

この時は、その時間を貰えたら、この後に起こる問題は違った方向に向いたと思う。

 

なぜなら、義理の父③の病気のことや体調のことを、純粋に心から心配してるから。

 

 

でも、とてもとても残念だけど、

 

 

事態は最悪の方向に動いてしまった。

 

 

つづく、

 

わたしの生い立ち⑩

思春期

 

三番目の父

 

悪い人ではないけど、

やっぱり、好きになれなかった。

 

 

中学生になったわたしは、身体も大きくなり、母が手を上げることはなくなった。

 

無視されることは、日常的だったので、慣れてきた。

 

でも、父がときどき、下げすんだ目で私を見たり、敵対視する目が、耐えられなかった。

 

 

あの頃、私もまだまだ子供だったと思うけど、父も同じく、

子供だったと思う。

 

母の言いなりだったので、

わたしが、思春期で反抗するようになると、母を守ろうと必死で、わたしに対して、睨み付けたり、嫌味な物言いをする。

 

母の中絶騒動(嘘)もあったので、わたしに対して恨みもあったのだろう。

 

わたしは、わたしで、

必死で母に、嫌われないように、母の言いつけを守って、良い子になるようにがんばって生きてきた。

母の顔色ばかり気にしてる子供時代

 

でも、いくらがんばっても、母から愛されることはなかった。

 

それでも、父に母を盗られるのは許せなかった。

 

だから、三人目の父は、わたしにとっては敵、

父もわたしのことは、

自分になつくかず、反抗的な態度をとり、新婚生活を邪魔するめんどくなさい奴

 

仲良くできるはずなんてない。

 

思春期になったわたしは、彼氏ができた。

真夜中に、二階から外壁をつたって降りて、夜遊びもするようになった。

 

家は、両親から無視され、いつも一人ぼっちで寂しかったから、

優しくしてくれる彼や、友だちと遊んでいる時が幸せだった。

 

ある夜、夜中に出て行ったことがバレて、父と母がわたしの後をつけてきた。

そして、彼と二人で歩いているところに、父が『こんな夜中に何をやってるだ!早く家に帰りなさい!』と、偉そうに父親ヅラしてわたしを怒鳴り付けた。

 

許せなかった、

 

『あんたのせいで、わたしは母から今まで以上に嫌われた。あんたが、家に入ってきたから、こんなことになってるんや!あんたこそ、母とイチャイチャして、汚らわしい。大嫌いや、あんたなんか、父親なんかじゃない!』

 

受け入れるなんて、絶対できない。

大嫌い、

 

家に帰ると、酒を飲んで母が泣きながら、『もう、わたしがこの家を出て行くわ!』と、わたしに吐き捨てる。

 

いつものこと。

これが、わたしの心を追い詰める母の手口、

この頃のわたしは、慣れていたので、動揺することもなかったので、冷静に何も言わず、母の猿芝居をぼぉーっと見つめて、時間が過ぎ去るのを待つ。

 

でも、父は真剣受け止め、動揺して、おろおろする。

そして、わたしに『お前のせいや!』と罵る。

 

母から攻められたり無視させたり、罵られても、我慢できるが、

他人の父から、言われることは、許せなかったわたし。

 

 

台所に置いてあった包丁を持ち、

自分のお腹を刺して死のうとした。父が、止めようと立ち上がり、わたしの包丁をとろうとした。

わたしは、とっさに包丁を父の方に向けた。

 

父が、『刺せるものなら刺せ!』と大声で、言った。

 

手が震えてる。

涙が溢れる。

 

『なぜ、わたしがこんなことをしてるんだろうか、、』

 

冷静になり、

包丁を下ろし、台所に戻した。

 

その後、さらに父とは険悪な状態が続いた。

 

母は、毎晩飲み歩くようになった。

真夜中に、帰って来て、ペロペロに酔っ払い泣き喚いたり、

わたしに、絡んできた。

朝帰りも増えた。

 

 

すべて、わたしのせい。

 

 

父は、わたしを恨み続けている。

 

 

わたしは、早く大人になって、一日も早くこの家を出るしかない。

そらからの日々は、家を出る方法を毎日考えて暮らすしかなかった。

 

悲しい

 

温かい家庭への憧れ…

早く結婚して、自分で作れば良い、と思うようになり、

寂しさを紛らわして生きていたと思う。

 

 

 

でも、今思えば… 

偽母が嘘に嘘を重ねたことで、わたしと父は、この女の愛情を奪い合うため、殺したいぐらい憎みあってた、

 

 

わたしの人生をめちゃくちゃにした

女(偽母)、許せる訳ないやん。。

 

 

わたしの生い立ち⑨

母の中絶

 

 

小学校4年生のある日、

突然家にやって来た、3番目の父。

 

 

この頃、36才位。

厳格な父と優しい母に育てられ、

3人兄弟の末子。

田舎で育ち、

大阪で働くため上京。

苦労を知らず、ゆるゆる育った人。

初婚。

 

 

こんな人だから、

母の言いなりになったんだろう。

今ならわかる。

 

 

でも、この頃のわたしはわからない。

変なおじさんが来て、

わたしに話しかけるのも、ぎこちないし、何かが変。

 

子供や女性と接したことがなかったんだろう。

 

 

わたしも、この父も、そして母も、

この日から、地獄の日々が始まったと思う。

 

小学校5年生の新学期から、転校すると聞かされた。

 

一戸建ての家を購入したらしい。

 

2階にわたしの部屋ができると聞いた。

それは、嬉しかったけど、

 

名字も変わると言われたことが、

とてもとても、ショックだった。

 

3回目、

やっぱり嫌だよ。

 

 

転校した学校のクラスに、

前の学校が同じだった男子が一人いた。

その男子が、前のわたしの名字を知っていたので、

 

休み時間になると、

わたしを、からかった。

わかっていたことだけど、嫌で嫌で仕方なかったわたしは、

その男子に、必要以上にからかわれることに反応した。

そうなると、余計に面白がられ、

他のクラスの男子も巻き込んで、結構な人数で、からかうようになってきた。

以前の記事にも書いたが、母に河童のように切られた頭も、この男子たちには、からかう材料になっていた。

 

この頃、好きになった男の子(初恋)もいたが、

河童頭のわたしは、嫌われて当然だったと思う。

 

名字のことで、苛められているこは、両親にも相談できず、

河童頭は、母がしていること、

我慢するしかない。

 

中学校になるまで、続いていたと思う。

 

中学生になると、大人に近づき、少しづついろんなことを知り始める。

 

 

玄関で父と母が抱き合っていたり、一緒に寝ていることが、

 

嫌で嫌でたまらなかった。

『不潔』だと思ったし、

 

いくらがんばっても、母から愛されないわたしだとわかっていても、

他の男の人に盗られたくないと思ってた。

 

そんなとき、母と父から『話がある。』と呼び出された。

 

母が、『お腹に赤ちゃんができたのよ。』と、言った。

わたしは、無言で、

ボロボロボロボロ、涙が溢れてた。

嗚咽しそうになったけど、声を殺して泣いた。

 

『何でそんなに泣くの?』と、

母が言った。

 

何も言えない。

嬉しい訳ないやん、

わたしの妹か弟だけど、

生まれたら、

わたしは今以上に過酷な環境になることは、想像できる。

母は、もっとわたしを嫌いになるだろう、

 

でも、そんなこと言える訳ない。

そんなこと言ったら、それはそれで、二人からもっと嫌われる。

 

それでも、母はわたしの態度を見て、悟ったと思う。

 

それから、数日後に、

冷たい態度で、『赤ちゃん、中絶したから。姉弟欲しくなかったんでしょ。』と言われた。

 

一人部屋にこもって、泣いた。

 

わたしは、ひどい人間だ、

わたしの態度で、姉弟を殺してしまった、

最低だ、

 

それから、父と会うのも怖かったし辛かった。

父は、子どもみたいな態度をとる人。

あからさまに、睨んでたし、挨拶以外は、声をかけてくることもなかった。

 

 

この出来事から、両親と会話することがほとんどなくなった。

 

ご飯だけ食べたら、自分の部屋に入る。

 

 

中島みゆき

 

 

アルバム、繰り返し聴いて、泣いてた。

孤独だったからね、

 

 

 

今となれば、

母の妊娠は、嘘だったんだろう。

 

その頃の、母の年齢は40才過ぎ。

20代で子どもができず、危険な橋を渡っても、人の赤ちゃんを貰い受けたのに、

その年で子どもができる訳もない。

 

ついてはいけない嘘、

 

でも、結婚したばかりの年下の父に子どもが出来ないことは、言いたくなかったんでしょう。

もしも、本当にできていたら、

わたしが、どう言って泣いても、中絶はしなかったはず。

 

 

あなたの嘘のせいで、

父もわたしも、

辛く、苦しんだんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偽りの母像

哀れな女の連鎖

 

 

 

 

母の過去のことは、ほとんど知らない。

子供の頃から、母は最小限のことしか話さないし、それが本当かどうかも定かではない。

 

 

わたしが知っていること、

 

 

両親を早くに亡くした。頼れる親戚がおらず、知人の世話になった。

その人たちが、いい人で、よくして貰えたから、なんとか生きてこれた。

 

お酒を飲むと、

泣きながら、『何度も自殺図ったこともある』ともよく話していた。

 

でも、どれもこれも本当なのかはわからない。

 

 

ただ、確かに親も、兄弟も、叔父や叔母も従兄弟もいない。

母の戸籍を見ても、母の欄には名前があるが、父の欄には名前がない。

『私生児』として、育っている。

 

小柄で、綺麗な顔立ち

いつも、周りに男の人がいる。

でも、その男の人達は、

おとなしくて、自分の言いなりになる人、

お金がない人はいらない。

 

お酒が好き。

アルコール依存、ギャンブル依存、

若い頃から、ずっと水商売から離れられない人。

 

 

二度の離婚、

 

 

こんな孤独な人が、

両親に棄てられた孤独な、

わたしを育てた。

 

 

哀れな女の連鎖、

哀れな女が、哀れな女の子に

同じ人生を歩ませた、

 

 

なぜ、わたしの本当の母は、

この人に、わたしを授けたんだろう、

 

 

それだけが、いくら考えてもわからない。

親は子供の幸せを願うもの、

 

 

本当の母に会いたいとは、

思わないけど、

このことだけは、

聞いてみたいと思う。

 

 

それと、

わたしを生まないで欲しかったとも、

言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの生い立ち⑧

嘘つきは泥棒の始まり

 

小学生高学年になったわたし

 

体が大きくなり、

母から手をあげることは、少なくなった。

 

でも、新たに始まった虐待は、

 

『無視』

 

これが一番、こころの平穏を犯されるんですよ。

長いときは、数ヵ月も全くわたしとは、口を利かなかった、

 

ので、学校から帰ると、

 

虫や、亀、ベランダに飛んで来る鳩に

話しかけてた。

 

孤独だった。

 

 

 

話を、少し遡ります。

 

大阪に無理やり連れて来られ、お菓子もおもちゃも買って貰えない日々…

 

わたしの友だちは、大おばちゃんが買ってくれた『リカちゃん人形』

 

わたしの話相手

 

そのリカちゃん人形もひとりぼっちでは寂しいだろう、

話相手に、もうひとつ人形が欲しいと思った。

 

でも、勿論…買って貰えるわけもない。

 

小学一年生のわたし。

 

二番目の父の実家(九州)に行った時、誰もいない部屋に母の財布が置いてた。

 

悪いこととは、わかっていたとは思うけど、

どうしても、リカちゃんのお友だちが欲しくて、

 

母の財布からお金を盗った。

 

リカちゃん人形を買えるだけのお金でよかったけど、それがどれくらいだかわからず、

 

一番大きなお札、

『一万円札』

 

 

ポケットに、ばれないように必死で丸めて入れたのを覚えてる。

 

数日後、近所おもちゃ屋さんに、

そのお金を持って、欲しかったお人形を買いに行った。

 

 

胸が張り裂けそうなくらいドキドキしてたと思う。

おもちゃ屋さんのおじさん、こんなに小さい子どもが一万円持って一人でやって来るんだから、不審には思ったと思う。

 

何か言われたと思うけど、忘れた、

 

お人形は、買えたから。

 

走って家に帰った。嬉しかったと思う。

寂しかった小さなこころが、少しだけ癒された瞬間だったから。

家にはいつも誰もいないから、何時間でもリカちゃんと遊べた。楽しかった、

 

でも、子どものすること、

バレるには時間の問題だった。

 

一万円札のお釣りは、千円札8枚と小銭ぐらいだったと思うが、おもちゃ屋さんのおじさんが、レシートと一緒に小さなビニール袋に入れてくれてた。

 

その袋はそのまま、わたしの学習机の足元の隙間に隠していた。

 

数日後に、それを母が見つけた、

 

その時の鬼のような顔

一生忘れられない、

 

 

母は、すぐにわたしを預けていた大おばさんを滋賀から呼びつけた。

 

そして、

今でも手に残っている

『お灸の痕』

 

 

何をされるのかわからず、

 

『泥棒、手を出しなさい!』

恐くて恐ろしい剣幕で、母はわたしを怒鳴り付ける。

 

わたしは、殺されるんじゃないかと思うほどの恐怖だった。

 

父がわたしを押さえつけて、わたしの小さな手を差しだしたと思う。

 

怖かった、

火がつくほど、泣いてた、

 

熱かった

手が焼けてる、

 

母は、笑ってた。

『いつも、嘘ばかりつく、あんたはほんとに悪い子、嘘つきは泥棒の始まり、その通りだったわ!』

 

 

その後、滋賀からやって来てくれた大おばさんは、母から叱られてた。

 

『甘やかせるからこんな子に育つんよ。』って言われてるのを聞いて、また哀しくなっていた。

 

 

ちがう、

ちがう、

 

なぜ、わたしの話を聞いてくれないん!

 

わたしは、急に大阪に連れて来られて、友だちもいない、

話すひともいない、

母に怒られてばかりで、

 

唯一の友だちが欲しかっただけ。

 

 

泥棒、

嘘つき、

 

 

わたしは、この後もずっと、母からこの言葉をたくさん投げつけられた。

このことがあってから、泥棒なんかしなかったのに、

 

 

それから、数年が経ち、思春期になったわたしは、

 

こころが、完全に歪んでいたと思う、

 

 

わたしは、嘘つきで、

泥棒になってもいいんだ、

 

 

わたしなんか、

最低な人間なんだ、

生きてる価値なんてないんだ、

 

追いつめられ、

 

行き場所を失ってた、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの生い立ち⑦

3番目の父

 

 

2番目の父が突然荷物ごといなくなった翌日、引っ越し屋さんが、荷物を持って来た。

 

 

わたしは、何ごとが起こっているのか、わからずただただその様子をぼぉーっと見ていた。

 

知らないおじさんの荷物、

 

『こんにちわ、宜しく』とか言われたと思う。

 

 

でも、この頃のわたしは、小学四年生になってたから、ある程度は理解できていたと思う。

 

 

その夜、滋賀から大好きな大おばさんも来ていたと思う。

 

珍しく、賑やかな食卓、

ずっとひとりぼっちで暮らしていたわたしは、嬉しかったからはしゃいでいたと思う。

母も、なぜか機嫌が良かった。

 

なにか様子がおかしい、

と思ったが、

やっぱり

 

 

母と大おばさんから、あらたまってわたしに話があった。

 

『今日からこのおじさんが、あなたのお父さんだから、お父さんと呼びなさい!』

って。

 

 

込み上げてくる涙、

 

 

優しくいつも、わたしを助けてくれてた二番目のお父さんが出て行ってすぐに、

おじさんがやって来て、

 

『お父さん』だって。

 

 

そんなの認められる訳ないやん、

これから、一緒に暮らすなんてあり得ないし、

お父さんが帰って来れなくなるやん、

 

 

全力で泣きながら、首をふった

絶対に嫌だった。

 

前のお父さんを守りたかったから。

大好きな大おばさんまで、なんでこの母の言いなりになっているのか、

辛かった。

 

この時から、母に対して、反抗することができることを覚えたように思う。

 

 

わたしも成長して、身体が大きくなってたし、新しい父の手前、少しは優しい女性でいたかったんだと思う。

 

 

その夜、

大おばさんと二人で布団を並べて寝た。

温かかった、

心もからだも、

 

大おばさんは、『良い人だから、新しいお父さんと仲良くしてあげてよ。』と、わたしを必死で言い聞かせようとしてた。

 

でも、わたしは泣くだけ、

大おばさんもわたしを見てて不憫に思ってくれたんだろう、

泣いてた、

 

 

仕方なく、翌日から、必死で

『お父さん』と呼ぶ練習をした。

 

 

なんとか、呼べるようになり、新しい父は上機嫌だったし、母も機嫌がよかったように思う。

 

でも、わたしの心は、

まったくこの父を受け入れることはできていなかった。

 

悪い人ではなかったが、

好きにはなれないし、近寄りたくない。

話すのも面倒な感じ。

 

わたしは、母に甘えることも許されず、いつもひとりぼっちだったから、

大人に対して、結構すぐに人懐っこくて、付いて回る子どもだったのに、

この新しい父に対しては、距離をおいてた。

 

 

前の父に申し訳ない気持ちと、

こんな母でも、わたしにとったらたった一人の大切な母、

もう、とられたくない嫉妬心だったと思う。

 

 

この後、

わたしはこの父と、

凄まじい争いをすることになった。

 

 

 

 

わたしの生い立ち⑥

誘拐事件

 

 

2番目の父が、荷物と共にいなくなった翌日、

新しく荷物が運ばれてきた。

 

初めて会う、おじさん

(3番目の父となる人)

 

3番目の父のことは、次に書きます。

 

 

それから、一週間ほどした頃だったと思う。

父が出て行って、

わたしはすごく落ち込んでとき

 

学校からの帰り道に、父が待っていた。

 

嬉しくて嬉しくて、

抱きついて喜んだ。

 

父が、

『今度の日曜日に朝から迎えに来るから。でも、絶対にママには内緒だよ。』

って。

 

嬉しかった。

 

約束の日

父は家の近くまで迎えに来てくれてた。

わたしの手を繋いで、新しく引っ越した文化住宅へ連れて行ってくれた。

 

歩いて、15分くらいの場所だったように思う。

駅向こうのところ、

 

でも、なんだか、

その時の父は、髭が伸びてて、

とっても疲れていた、

 

しばらくすると、

『ゲームセンターに行こうか?』と言った。

 

父と父の弟は、

ときどき、

母には内緒で

わたしをゲームセンターに連れて行ってくれることがあった。

 

母とは、パチンコ屋さんにしか行ったことはない。いつも、隣に座らされて、母がパチンコを止めるまで、じっと待つ。

店員さんに注意されると、パチンコ屋さんの中で玉を拾ってひとり遊びをする。

そんなことしてると、知らないおじさんに怒られる。

 

お友だちは、遊園地や動物園なんかに家族で出て行くのに、

わたしの親とのお出掛けは、パチンコ屋さん、

楽しくなんかない、

 

だから、父がこっそり連れて行ってくれるゲームセンターは、大人が遊ぶようなコインゲームだったけど、

なんか、楽しかったように、記憶している。

 

 

その日の父は、

部屋の中の小銭をかき集めて、財布に入れてた。

タバコの銘柄も変わっていた。

いつも、お使いで頼まれていたカッコいいタバコじゃなくて、古びた感じのタバコ、

 

お金がないんだ…と、子供のわたしが、心配していたことをかすかに思い出す。

 

そんなよれよれになった父と二人で、電車に乗って、ゲームセンターに行った。

一緒にいてくれるだけでよかった、

 

でも、その後に連れて行かれた場所は、

『競馬場』だった。

 

 

その時、子供ながらに、

これはいけないことだと思ったと思う。

働かず、賭け事して、お金がなくなって、身なりも気にしなくなって、

 

父が可哀想にも見えたけど、怖くも感じた。

 

帰り道、競馬で少しお金が儲かったようで、レストランに連れて行ってくれた。

そして、父の家に一緒に帰った。

 

しばらくすると、警察官が来た。

その後のことは、あまり覚えていない。

 

 

ただ、思い出せることは、

 

その後、母がわたしに、見たこともない優しい表情で優しく、

 

『あの人は本当のお父さんじゃないから、あなたがあの人を選ぶことはできないんよ。』

 

って、警察官の前で言ったことだけ。

 

 

警察官が帰った後、

すごく怒られて、口も聞いて貰えない日がずっと続いた。

 

 

後に、あの時…

わたしは、二番目の父が母に対して嫌がらせをするために、

わたしを、『誘拐』したんだと知った。

 

 

それから、二番目の父はわたしの前には現れなくなった。

 

 

 

今思い返せば、

母が言った言葉

『あの人はあなたの本当のお父さんじゃないから。』

 

 

 

あなたにも、言いたい!

 

あなたも、わたしの本当のお母さんじゃなかったやん、

よく、あんなことが言えたね、

 

 

嘘つき!