愛着障害から恋愛依存症が発病するまで
家を出て、寮に入って病院で看護見習いとして働くことになったわたしは、不幸な生活から脱出して幸せになれる…と期待を膨らませていました。
でも、世間は甘くないことを思い知らされました。
大人はわたしみたいなまだまた子供に対して、みんな優しく接してくれるはず、
と思い込んでました。
それに、白衣の天使だもん。優しいに決まってる。
いやいや、そんなに甘くなんかない。
ここでも、仲間外れにされ虐めを受けることになりました。
掃除や洗濯、雑用ばかり、誰も声を掛けてくれない。孤独だった。
泣きながら、手術で血のついたシーツを手洗いする。冷たい。。手荒れが酷くて痛い。。
毎日毎日、同じ作業を繰り返す。
休憩時間は、看護師さん達が楽しそうにおしゃべりしてる。
わたしは、隅の方一人でぽつりと座ってる。誰もわたしに話し掛けることはない。
中学の時の虐めと同じ状況にいる。
寂しい。。
でも、わたしにはいく場所もないから耐えるしかなかった。
耐え続けていると、少しづつだけど状況は好転していった。診察室で患者さんに消毒したり包帯を巻いたりや、病棟に血圧や体温測定に回る仕事を任して貰えるようになった。
患者さんと触れ合う時間は楽しかった。わたしの方が患者さんに癒されてた。
わたしが勤めていた病院は外科専門の救急病院だったので、ケガをした若い男の人がたくさん入院してきた。
その頃のわたしは、若いから可愛いいと見て貰えたし、将来の看護師だと思って貰えてるから、チヤホヤされた。
ラブレターもたくさん貰ったし、告白もされた。
タブーなことだけど、その患者さんの一人と付き合い始めた。
その人は、わたしと良く似た境遇の人。わたしはどっぷりハマった。初めて味わう心のゆもりや安定。それは、彼も同じだったと思う。
一人ぼっちだったのに、二人になったんよね。
そんな幸せもつかの間で、二人が付き合っていることを病院の先生にバレて、親が病院に来てこっぴどく怒られて、別れるように言われた。
わたしも彼も、別れることなんて出来る訳ない。それに、家に連れ戻されるくらいなら死んだ方がまし。
結局、わたしは看護師になることを諦めるしかなくなり、病院を退職。
両親とはこの時一度目の絶縁状態になりました。
それから、その彼と2年程同棲してた。でも、彼がお酒を飲むと手を上げるようになり、逃げるように実家に帰った。
別れてから、寂しくてどうしょうもない。夜になっても眠れない日々が続いた。
家に閉じ籠り、壊れていくわたしを母が知り合いの人が経営している喫茶店にわたしを住み込みで働くように頼み込んだ。
わたしは言われるがまま従うしかなく、そこで働き始める。
そこから、わたしの恋愛依存が発症してしまった。