恋愛依存症に苦しんだ過去
誰にもベタベタする。可愛がって貰おうと必死になる。すごくすごく変な子だったし、迷惑がられてたと思う。
子供の頃
母は、わたしの手を握ったことない。髪や身体に触れたこともない。
抱き締めてくれたことなんて、ある訳ない。
いつも、汚い物をみる目で見てた。
髪もといてくれないからボサボサ頭で、前の毛は眉毛の上でぱっつんに切られて、おかっぱ頭…。
服も男の子が着るようなシャツに短パンばかり。
そんな子供でも、働くようになると美容院だっていけるし、洋服も買えるようになる。
そうすると、若いし可愛いと思って貰える。
男の人から声を掛けられることが増える。
わたしの心が癒される。
そして、恋愛依存症に苦しむ日々。
人を好きにはならない。捨てられるのが怖いから。だから、好きだと言われる人としか付き合わないし付き合えない。
いつも受け身で、言われるまま。
何も自分で決められない。
だから、DVを成立させてしまう。
子供の頃から、精神的にも身体的にも虐待を受けてきたわたしは、知らず知らずにわたしを支配してくれる人を求めてしまったのかもしれない。
優しい彼もいた。たぶん、その人と一緒にいたらこんなに遠回りせず、子供達にも迷惑かけず、幸せになれたと思う。
でも、その人は選ばないわたし。
結局、その後…2回の結婚して、離婚した。
ただ、今となれば、この結婚の全てを否定するつもりはない。
わたしを守ってくれる息子たちを授かることができたから。
愛着障害から恋愛依存症が発病するまで
家を出て、寮に入って病院で看護見習いとして働くことになったわたしは、不幸な生活から脱出して幸せになれる…と期待を膨らませていました。
でも、世間は甘くないことを思い知らされました。
大人はわたしみたいなまだまた子供に対して、みんな優しく接してくれるはず、
と思い込んでました。
それに、白衣の天使だもん。優しいに決まってる。
いやいや、そんなに甘くなんかない。
ここでも、仲間外れにされ虐めを受けることになりました。
掃除や洗濯、雑用ばかり、誰も声を掛けてくれない。孤独だった。
泣きながら、手術で血のついたシーツを手洗いする。冷たい。。手荒れが酷くて痛い。。
毎日毎日、同じ作業を繰り返す。
休憩時間は、看護師さん達が楽しそうにおしゃべりしてる。
わたしは、隅の方一人でぽつりと座ってる。誰もわたしに話し掛けることはない。
中学の時の虐めと同じ状況にいる。
寂しい。。
でも、わたしにはいく場所もないから耐えるしかなかった。
耐え続けていると、少しづつだけど状況は好転していった。診察室で患者さんに消毒したり包帯を巻いたりや、病棟に血圧や体温測定に回る仕事を任して貰えるようになった。
患者さんと触れ合う時間は楽しかった。わたしの方が患者さんに癒されてた。
わたしが勤めていた病院は外科専門の救急病院だったので、ケガをした若い男の人がたくさん入院してきた。
その頃のわたしは、若いから可愛いいと見て貰えたし、将来の看護師だと思って貰えてるから、チヤホヤされた。
ラブレターもたくさん貰ったし、告白もされた。
タブーなことだけど、その患者さんの一人と付き合い始めた。
その人は、わたしと良く似た境遇の人。わたしはどっぷりハマった。初めて味わう心のゆもりや安定。それは、彼も同じだったと思う。
一人ぼっちだったのに、二人になったんよね。
そんな幸せもつかの間で、二人が付き合っていることを病院の先生にバレて、親が病院に来てこっぴどく怒られて、別れるように言われた。
わたしも彼も、別れることなんて出来る訳ない。それに、家に連れ戻されるくらいなら死んだ方がまし。
結局、わたしは看護師になることを諦めるしかなくなり、病院を退職。
両親とはこの時一度目の絶縁状態になりました。
それから、その彼と2年程同棲してた。でも、彼がお酒を飲むと手を上げるようになり、逃げるように実家に帰った。
別れてから、寂しくてどうしょうもない。夜になっても眠れない日々が続いた。
家に閉じ籠り、壊れていくわたしを母が知り合いの人が経営している喫茶店にわたしを住み込みで働くように頼み込んだ。
わたしは言われるがまま従うしかなく、そこで働き始める。
そこから、わたしの恋愛依存が発症してしまった。
内密出産をみとめるべきではない
ニュースを見て、心がざわついてます。
『内密出産』
わたしは、50年前に内密出産とほぼ同じ状況で生まれた人です。
私を生んだ人が、どのように私を取り上げた医師か助産師の方に頼み込んだのかはわかりませんが、
誰かが手を貸して、私を出産していない人が出産したようにした。
そして、出産した私の実母は、子供を生んだ事実はなくなり私の前から消えた。
そして、私はただただ赤ちゃんが欲しかった子供を生めない女の人の実子として戸籍に入れられた。
私が生まれたと戸籍に記載されている病院は、もうない。
だから、私の実母を探すすべはない。
特別養子縁組の手続きをしてくれていたら、私のルーツを辿ることができたのに…。
でも、そもそも内密出産をする人は、望んでない赤ちゃんなんだよね。
だから、生み捨てて人に託せるんだよね。
今は無理だとして先々、逢いたいとは思わないんだろうか。
哀しくない?心配にならないん?
それなら、生まないで欲しかった。もしも、おろすことができなかったのなら、あなたの手で私を殺して欲しかった。
何もわからないうちに殺して貰える方が幸せだったよ。
あなたが身勝手なことをして逃げたから、たったひとりで50年間苦しんできた。
今も苦しんでるよ。生きづらいよ。
死ぬのが怖くて、生かされて。寂しくて悲しい人生を歩んでいる。
生まないでくれたら、何もなかったんだよ。殺してくれたら、何もなかったんだよ。
すぐに生まれ変われて、子供を心から望む優しい両親の元から生まれ直せたんだよ。
そうして欲しかった。
どんな事情があろうが、生み捨てていくのは許せない。
内密出産は、認めて私のような悲しい人生を歩む子供を作らないで欲しい。
実母に虐待受けるのは辛い。
でも、養母に虐待受けるのは犯罪だと思う。私はその犯罪から助けて貰えず、育った哀れな子供だったと思う。
虐待を受け続けた子の生きづらさ
子供の頃に虐待を受け続けて、心を支配された子は、何ひとつ自分で決定する力がなくなります。
それに、愛着障害を併発して、依存症にも苦しんだ結果、心が破壊してしまいます。
なかなか書きたくても、書けなかった私が苦しんだ思春期のこと…
少しづつ書いてみます。
思い出したくない過去ですが、今現在私のように苦しんでいる方が私のブログを読んで、共感するものがあれば、私みたいにズルズルと苦労ばかりを選択することはなくなるかと思います。そう願いたいです。
私も、早い段階で気づけるチャンスがあれば、私の子供達に幸せな家族を作ってあげれたのに…。
それだけが、私の後悔です。
私は、16才で家を出ることを選択しました。
高校は行きませんでした。受験すら受けてません。
中学で壮絶な虐めを受けました。
中学に入って、私の名字が変わったことが原因です。
母は、3番目の父と籍を入れ、周りに知られたくなかったため、家を購入して引っ越しを選択しました。
勿論、私も名字が変わり、転校先では新しい名前で紹介されました。
しばらくは、私だけが違和感になじもうと努力すればよかったんですが、
中学に入学した時、同じクラスに男子の転校生が入ってきました。
転校する前、同じ学校で同じくらすだった…Tくんです。
Tくんは最初は大人しく、私にも普通に話しかけてくれていましたが、少し仲良くなると私の前の名字を呼んでからかうようになっていきました。
そこに以上に反応してしまったのが、私です。
自分自信が受け入れていない名前で、からかわられるのが辛くて、必死で抵抗しました。
その時、初めて人に対して嫌なことを嫌だと言えたと思います。
でもその姿は、異常すぎたんだと思います。
どんどんからかう男子の数が増えて、最後は面白くなくなったのか、集団で無視をするようになりました。
それを見ていた女子も、私から離れていきました。一緒に行動すると虐められることわかってますから。
こんなことが、学校で起こっていても、私には誰にも相談する人がいませでした。
母は、私の話など聞くこともないし、もし聞いたとしてもすべて私が悪い…と言うでしょう。
耐えるしかないです。
家でも、学校でも、無視されるようになり、
孤独でした。
この頃にも毎日自殺を考えていたと思います。
でも、いつか優しい父が私を探し求めて、迎えに来てくれる…と空想してたから死なずに耐えれたと思います。
(今となれば、絶対にあり得ないことを信じていた子供の頃の私が哀しすぎます。)
私の場合は、家にも学校にも居場所がので、虐められても耐え続けて、学校に行くしか選択肢はありません。
毎日が苦痛でしたが、休むことなく通学してました。
異性を意識し始める年頃に、運動会で手を繋ぐダンスなんて最悪です。
私が手を出すと、汚いものを触るように指先だけ出されます。次の人もその次の人も…。
それでも、耐え続けていると変化は訪れます。
クラス変えで、私を虐めていた主犯の2人とクラスが変わりました。
それからは、少しづつ友達もできました。
でも、私の育った境遇では、両親が揃ってて大切に育てられた人とは友達になっても長続きできません。
たぶん、羨ましくて、自分を惨めに感じるからだったと思います。
そうなると、同じような境遇の友達と遊ぶようになります。
タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、悪い先輩達と遊んだり。
髪を染めて、パーマあてて、
どんどん自分が変わっていきました。
学校に行く回数も減り、友達や彼氏の家に入り浸り、悪いと思っててもそこしか私の居場所はありませんでした。
その頃、その時の父や母ほとは一言も話すことなく、夕食(ご飯と豆腐だけ)を食べると自分の部屋に閉じ籠った日々が続きていました。
母も荒れて、酒浸りだったと思います。小さい頃のように、体罰やモラハラで支配できない年頃になった私をどうしようもなかったからだと思います。
私が反撃できるようになったんです。
母は、私を家から出す決心をしたようです。
このままなら、家が崩壊してしまうのを恐れたんでしょう。
知り合いの病院の院長に、住み込みで看護師見習いとして就職させることを頼み込んだみたいです。
私はその話を聞いた時、高校受験を止めました。これから、3年もこの家で暮らすことができないから。
そんな悲しい理由で、高校受験を諦めたんです。
病院に勤め始めてから恋愛依存症、パチンコ依存症を発症したこと、次に書こうと思います
虐待を受けた記憶
子供の頃の辛かった記憶
怖くて、寂しくて、毎日毎日泣いてた。
泣かない日はなかったよ。
怖い顔をしたおばさんが、掃除機の棒を持って追っかけて来る。
走り回って逃げる。靴も掃かずに外に飛び出る。
家の扉が閉まる。
毎日繰り返される。なぜ、怒られてたかわからない。
思い出せない。
思い出せることは、『あんたは、嘘つきや!』と罵られてたこと。
5才や6才の子供が毎日、嘘をつくんだろうか。
思い出せないことがある。
殴られたこと、
記憶から消えてしまった。
心は悲しかった過去が刻まれたままで今でも痛んでるのに、身体の痛みは消えた。
思い出せないことで、私は苦しんでる。
思い出せたら、偽母のことを哀れんで助けることはしなくてすむ。
カウンセリング受けようかと調べてみるけど、行動を起こす勇気がない。
わたしがわたしのインナーチャイルドを自分で癒すため、知識が欲しい。
公認心理師の勉強を始めようと思ったのも、そのため。
頑張るよ。
あの日から1年~ブログ復帰します。
母だと思ってた人が、じつは他人だった。
その人から虐待、モラハラを受け続けた50年から解放された。
そんな衝撃的事実を知った日から、1年が過ぎました。
3ヶ月ほどは、怖くて怖くて。。考えれば考えるほど怖くて、
わたしはどこの誰から生まれて、なぜどこの誰かもわからない女に、貰われた?、誘拐された?、売られた?
そんな不安ばかりが頭の中を巡る。
これ以上わたしの生い立ちを調べるすべもなく、誰に相談して良いかもわからず。
相談したとして、何かがわかったとして、
良いことなんてひとつもない。
わたしの本当の両親はこの世に生きている確率は五分五分だろうし、生きていたとして年老いた老人だろう、
認知症になってるかもしれない、
そんなことを考えるのに疲れる。
もう、御免だ!
血が繋がってる家族がいなくても良い!
もう、やめよう!
考えて考えて不安に潰されそうになって、何もできなくて、静止しているわたし。
今のわたしには、守るべき大切ものがある。
時間が経つにつれて、そのことに気付いたわたしは、自分の過去と向き合うことを止めた。
でも、忘れられない事実をどのように自分の心を処理するか
悩んでやってみて失敗して、また落ち込んで眠ると悪夢を見るを繰り返し、
それでも、わたしは仕事に行かないと生きていけないし、夫や子供たちに迷惑かけないように生きないといえない。
そうするために、わたしの心を楽にする方法は、わたしの過去の事実を頭から消し去ることは絶対的に無理❗
だから、わたしはわたしの過去を自分のことではなく他人事だと思うことにした。
客観的に見ることことで、楽になる。
不幸や不安と向き合っても、毎日辛いだけですから。
そして、あれから1年経ったわたしが今を生きてます。
やっと、心が少し落ち着いてきてブログを書けるようにまで回復しました。
まだ、すべてを乗り越えられ訳ではないので、また投稿が止まってしまうかもしれませんが、
わたしと同じように、両親がいない人や、虐待、モラハラ、依存症で苦しんでいる方々がわたしのブログが目に止まり
一緒に乗り越えていけたら…と願いながら、ブログ再開しようと思います。
父と50年ぶりの再会⑫
対決
少しの間だけでも、
そっとしてくれればよかったのに‥
今でも、そう思う。
わたしが、虐待され支配を受け続けていた母から生まれていないこと、
母が、真っ赤な他人だと知った翌日の夜、
前日、ほとんど眠れず、
仕事して帰って来たわたしは、心も体もクタクタで、夫と早めに寝ることにした。
夜9時半頃だったと思う。
インターフォンが鳴った。
嫌な感じがした。
的中、
父と母が、鬼のように怖い顔をして立っていた。杖を持って、フラフラして歩いている父。
(危ないから、こけてケガをしたら、血小板が減ってるから、命に関わるからあれだけ、気をつけて、と言ってきたやん。)
わたしの性格的にも仕事上でも、
真っ赤な他人だとわかったけど、
この危なっかしい老いてしまった2人を、インターフォンごしで追い返すことはできず、
家に通した。
怖い顔をしたまま、勢い良く威圧的な態度で、家に入り、
リビングの椅子に座った。
夫は、離れたとこで、何も言わず静かに座って、見守っくれていた。
まず、母が切り出した。
『あなたに迷惑かけすぎたみたいだね、それで怒ってるんでしょ、
これからは、あなたに迷惑かけないように二人で細々とやっていくわ!
ごめんね、申し訳なかったね』
いつもの、脅しと泣き落とし作戦だった。
その時、父は横で大きくうなづいていた。
沈黙
わたしの心の葛藤、
いうべきか、いわないべきか、
いつものように、事を荒立てないように、相手をこれ以上怒らせないように、
ちっちゃくてどうでもよいようなことで、わたしがすねてるだけだったことで終わらせるために、
少し言い合いして、最後にお互いに悪かったところを認めあって、何事もなかったようにおさめるか、
心の葛藤が続く。
我慢、
でも、母は、
わたしの気持ちを整理する時間が待てず、
言ってはいけない言葉で、わたしに追い討ちをかけてしまった。
『そんなにも許せないことをしたんだね、
親子の縁を切りましょう、だから最後に言いたいこと言いなさい!』
と、母が言った。
その横で、父が、わたしの家の鍵を返してきた。
終わった、
わたしの心に巻かれていたがんじがらめの鎖が、このときに解き放たれた。
それからのわたしは、
母(偽物)に対して、50年間のわたしの苦しみを言葉にして、ぶつけた。
でも、残念ながら、義理の父③が、この偽母を全力で必死で庇おうとするため、
偽母はなんの弁解も、
そして、真実を話すこともしなかった。
その時の会話‥
偽母
『親子の縁を切りましょう、最後に言いたいことをいいなさい!』
‥‥わたしは、義理の父③父に告げた。
『今から、わたしはこの母と二人で話がした。父を巻き込むつもりもないので、口を挟まないで欲しい。』
‥‥そして、偽母と対決がはじまった。
わたし
『わたしに言いたいことがあるでしょう、話さないといけないことがあるでしょう、
親子の縁なんて、元々なかったんでしょう。』
偽母
『何を訳のわからないこというてるんの?
』
わたし
『墓場まで持っていくつもり?わたしは、誰なん?誰の子供なん?あなたはわたしを生んでないでしょ?』
偽母
『沈黙‥‥‥‥』
義理の父③
『何を言うてるねん。お前は俺の○○家の子供やろ!』
わたし
『お父さんは黙ってて!関係のない話やから。』
偽母
『なんでそんなこと言うてるん!あなたは私の生んだ子供に決まってるでしょ。』
わたし
『じゃあ、いつ何処でわたしを生んだん?どこの病院?なんて名前?言ってみてよ。』
偽母
『○○市内の病院やったと思う、でも、そんなこと言わなあかんの?話す必要ないでしょ。』
わたし
『人には、自分の出生を知る権利があるばず。なぜ、隠すの?なぜ、騙し続けるん?誰のために、誰を守るために嘘をつき続けるつもりなん?』
偽母
『沈黙‥‥』
‥‥‥‥隣の部屋で、無言でわたしを見守ってた夫が一言、
『お母さん、○○県まで行って、調べてすべてわかってることですから、本当のことを言ってやってください!』と。
偽母
こんな夜更けに、わたしの家に押し掛けて来た時の勢いはなくなり、
うつむいたまま、テーブルに人差し指をもじもじと動かしている。
涙を流すわけでも、怒るわけでもなく、ただただ、指を動か続けている。
でも、身体全体は小刻みに震えている。
義理の父③
『もう、止めたってくれ!お母さんが可哀想や!こんなに震えて、、』と泣き出した。
‥‥‥‥このとき、わたしの過去が、哀しすぎる記憶が甦る。
こうやって、いつも、わたしを二人で攻撃する!母が、わたしを虐め、支配する。わたしが、父に助けを求めようとしても、
父は、母を必死で守る。
どれだけ、理不尽で間違っていても、何もかも悪いのはわたしで、わたしは、この偽母のペットとして今までの人生を歩んでいたんだ。
怒りが込み上げてきた。
わたし
『あなたは、わたしに親として愛情をくれたことあった?いつもいつも、わたしわ攻めて、追い詰めて、追い込んで。
子供の頃から、怒ってばかりで、嫌がることばかりして、
わたしの身体は汚らわしい、から触れることも、抱き締めることもしなかった。
わたしの食べたものは、汚いから、いつも皿は分けられた。
わたしとあなたは、何一つにていない。
おかしいと、思ってた。でも、まさか、戸籍を改ざんするとはおもわなかったよ。
いったい、あなたはどこの誰なん?』
偽母
『わたしが、生んだ‥‥。調べたらええよ、』
わたし
『DNA鑑定はすぐにできるし、調べることも、可能だよ。
でも、調べる必要なんかない。
わたしは、あなたから生まれていないことは、鑑定しなくても、わかるよ。』
義理の父③
『もう、止めてくれ!帰ろう、これから、二人で細々とやっていくわ!
迷惑かけて悪かったな、
さようなら、、』
『もう、見送りはいらんから。』
最後に偽母が、玄関口で、
『わたしが、あなたを生んだから。』
と、叫んで帰って言った。
泣いた、
わたしがの心は、震えるくらい泣いた、
みんな、心の中で、死んだよ。
わたしの過去は、すべて嘘、
後ろを見るのが怖い、、
怖くて怖くてたまらない、
つづく