sora-0812の日記

わたし、捨て子なんです(^^;)

わたしの生い立ち⑨

母の中絶

 

 

小学校4年生のある日、

突然家にやって来た、3番目の父。

 

 

この頃、36才位。

厳格な父と優しい母に育てられ、

3人兄弟の末子。

田舎で育ち、

大阪で働くため上京。

苦労を知らず、ゆるゆる育った人。

初婚。

 

 

こんな人だから、

母の言いなりになったんだろう。

今ならわかる。

 

 

でも、この頃のわたしはわからない。

変なおじさんが来て、

わたしに話しかけるのも、ぎこちないし、何かが変。

 

子供や女性と接したことがなかったんだろう。

 

 

わたしも、この父も、そして母も、

この日から、地獄の日々が始まったと思う。

 

小学校5年生の新学期から、転校すると聞かされた。

 

一戸建ての家を購入したらしい。

 

2階にわたしの部屋ができると聞いた。

それは、嬉しかったけど、

 

名字も変わると言われたことが、

とてもとても、ショックだった。

 

3回目、

やっぱり嫌だよ。

 

 

転校した学校のクラスに、

前の学校が同じだった男子が一人いた。

その男子が、前のわたしの名字を知っていたので、

 

休み時間になると、

わたしを、からかった。

わかっていたことだけど、嫌で嫌で仕方なかったわたしは、

その男子に、必要以上にからかわれることに反応した。

そうなると、余計に面白がられ、

他のクラスの男子も巻き込んで、結構な人数で、からかうようになってきた。

以前の記事にも書いたが、母に河童のように切られた頭も、この男子たちには、からかう材料になっていた。

 

この頃、好きになった男の子(初恋)もいたが、

河童頭のわたしは、嫌われて当然だったと思う。

 

名字のことで、苛められているこは、両親にも相談できず、

河童頭は、母がしていること、

我慢するしかない。

 

中学校になるまで、続いていたと思う。

 

中学生になると、大人に近づき、少しづついろんなことを知り始める。

 

 

玄関で父と母が抱き合っていたり、一緒に寝ていることが、

 

嫌で嫌でたまらなかった。

『不潔』だと思ったし、

 

いくらがんばっても、母から愛されないわたしだとわかっていても、

他の男の人に盗られたくないと思ってた。

 

そんなとき、母と父から『話がある。』と呼び出された。

 

母が、『お腹に赤ちゃんができたのよ。』と、言った。

わたしは、無言で、

ボロボロボロボロ、涙が溢れてた。

嗚咽しそうになったけど、声を殺して泣いた。

 

『何でそんなに泣くの?』と、

母が言った。

 

何も言えない。

嬉しい訳ないやん、

わたしの妹か弟だけど、

生まれたら、

わたしは今以上に過酷な環境になることは、想像できる。

母は、もっとわたしを嫌いになるだろう、

 

でも、そんなこと言える訳ない。

そんなこと言ったら、それはそれで、二人からもっと嫌われる。

 

それでも、母はわたしの態度を見て、悟ったと思う。

 

それから、数日後に、

冷たい態度で、『赤ちゃん、中絶したから。姉弟欲しくなかったんでしょ。』と言われた。

 

一人部屋にこもって、泣いた。

 

わたしは、ひどい人間だ、

わたしの態度で、姉弟を殺してしまった、

最低だ、

 

それから、父と会うのも怖かったし辛かった。

父は、子どもみたいな態度をとる人。

あからさまに、睨んでたし、挨拶以外は、声をかけてくることもなかった。

 

 

この出来事から、両親と会話することがほとんどなくなった。

 

ご飯だけ食べたら、自分の部屋に入る。

 

 

中島みゆき

 

 

アルバム、繰り返し聴いて、泣いてた。

孤独だったからね、

 

 

 

今となれば、

母の妊娠は、嘘だったんだろう。

 

その頃の、母の年齢は40才過ぎ。

20代で子どもができず、危険な橋を渡っても、人の赤ちゃんを貰い受けたのに、

その年で子どもができる訳もない。

 

ついてはいけない嘘、

 

でも、結婚したばかりの年下の父に子どもが出来ないことは、言いたくなかったんでしょう。

もしも、本当にできていたら、

わたしが、どう言って泣いても、中絶はしなかったはず。

 

 

あなたの嘘のせいで、

父もわたしも、

辛く、苦しんだんだよ。