sora-0812の日記

わたし、捨て子なんです(^^;)

わたしの生い立ち③

優しくしてくれた方々

わたしの今があるのは、

わたしを助けようとしてくれた優しくて温かい心を持った大人の方々がいたお陰です。

今日はそのことを、思い出して書きたいと思います。

 

 

 

義理の父②→ 2番目のわたしの義理の父

 

わたしが、滋賀県の大おばさんの家で、生活している頃

(たぶん、4~5才の頃ぐらいだと思う)

 

母(偽母)と、一緒に時々、わたしに会いに来ていたと思う。

 

あんまり、覚えていないけど、

優しくしてくれた、おじさん…

お菓子もくれたような、、うっすらしか覚えていない記憶、

 

子供のころのわたしには、感心の薄い人だった。

 

でも、そんな人が、

 

小学校に上がる時、父となり、『パパと呼びなさい!』と、母から命令された。

 

鬼のような母から言われることは、絶対命令。

子供の時の、わたしは、この母の命令に従うしか、生きていく道はなかった。

 

(わたしのインナーチャイルドみゆきちゃん』は、感情を捨てて人形になってたね。

大おばさん夫婦が買ってくれたリカちゃん人形と、レゴブロックを、大切に大切にしてた。

ひとりでいつも遊んでたね、

何時間も何時間も、想像の中で遊んでた。

そこには、優しいパパとママがいたから、

現実逃避できてたんよね。)

 

 

義理の父②は、調理師をしていた。

九州から大阪に上京して母と知り合ったみたい。

初婚。優しい人。

母と同じで、お酒もギャンブルもする人。

 

でも、母のように、

酔っぱらっても、わたしを叱りつけたりはしない。

優しく接してくれていた。

 

母に怒られてばかりのわたしを、同情していたように思う。

 

母がいない時は、こっそり料理を作って食べさせてくれた。

小学校の遠足の日には、お弁当も作ってくれた。

とっても、美味しかった。

 

義理の父②の、両親も兄弟も、九州に住んでいるが、

大阪に住んでる兄が一人いて、時々遊びに来てくてた。

 

なぜだか、とっても、わたしを可愛いがってくれた。

子どもが好きな人だったのかもしれない。

独身で子どもがいないので、弟に義理とはいえ子どもができたので、

可愛く思ってくれたんだろう。

 

わたしの、義理のおじさんとなる人。

そのおじさんは、来る度に、本屋さんに連れて行ってくれて、『本』を5冊毎回買ってくれた。

 

この頃のわたしは、『昆虫』が好きだった。

虫が、友だち。

草むらで、虫を見つけて、捕まえて虫かごに入れる。

 

虫かごの虫は、わたしそのものだったのかもしれない、

自由を奪われて、かごに押し込められて、逃げられない、

悲しくても泣けない虫、

わたしと同じ。

 

義理のおじさんに、昆虫図鑑をねだって買ってもらった。

でも、

実は、母から、『もう、おじさんから本を買って貰ったらあかん!』と強くいわれていた。

 

いつものわたしなら、言いつけを守っていたはずか、

まだ、子どもなんです。

 

おじさんが、優しくて良い人で、わたしのわがままを聞いてくれるから、

わたしは調子にのってしまった。

 

虫の図鑑を嬉しそうに、おじさんと一緒に家に持って帰った。

そのときに、おじさんは、わたしの大好きなショートケーキも買ってくれた。

 

嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

でも、家に帰って、扉を開けた瞬間の、母の顔(今でも目に焼き付いている)

怖い鬼、

 

その場では怒らない。

それが、また怖かった。

そして、わたしの側に寄って来て、

耳元で、『後から覚えておきない!』と、こっそりいい放った、

 

怖かった、

恐怖を感じた

おじさんが帰ったら、わたしは殺されるのかもしれないとまで、思った

 

ショートケーキがお皿にのってたけど、

手もつけれない。

 

そして、おじさんが帰る時間となった。

 

どれほど、帰ってほしくない、助けてほしいと、心の中で叫んだか、

 

でも、おじさんには伝わるわけもない。

 

怒られる、殴れる、また、放り出される

それだけでは、今度はすまないだろう、

 

逃げるしかないと思った。

家を出た。

 

でも、小学校の低学年の児童が一人、行くあてなんて何処にもない。

 

大おばさんに、迷惑かけれないし。

 

そんな時、近所に建築現場の小さな小屋があった。

そこなら、雨風はしのげるし、寝ることもできる。

食べるものはないけど、葉っぱでも食べたら良い、と思った。

浅はかな子供の考え、

 

どんどん夜が更けていく。

 

寒くなってくる。怖くなってくる。

寂しくなってきた。

わたしは、なぜこんなに不幸なんだろう、なんで普通のおうちの子供みたいに可愛がって貰えないのだろ、

 

涙が溢れる、

 

そんな時、外からわたしを呼ぶ声が聞こえた。

 

たくさんの大人がわたしを探している。

警察の人もその中にいた。

 

もしかしたら、警察の人が助けてくれるのかも、しれないと期待したわたし。

 

この時代には、『幼児虐待とか、保護とか、児童相談者とか』

わたしを助けて貰える制度なんて、何一つなかった。

 

警察官は、母が捜索届けを出したから動いていたよう。

 

それを知らず、外に出てしまった。

 

母が、わたしを見て、『よかったあー』と、涙を流していた。

嘘の涙。←この涙を、大人になるまでに何度見ただろう、

 

警察官に、母の元に引き渡されてた、

 

そのあとのわたし、

 

記憶がない。

(みゆきちゃんは、人形になりきれたんだろう、辛かったね、本当によく耐えてくれたと思う、)

 

そして、この後…おじさんは来なくなった。

 

 

小学校3年生の頃のわたし

 

義理の父②が、大好きになっていた。

母に怒られると、この父が隠れてこっそり慰めてくれたから。

 

この頃には、この父も、母から罵声を受け、喧嘩ばかりしていた。

子供のわたしには、詳しい理由はわからない。

 

父がね、仕事から帰る時間には、駅まで毎日歩いて迎えに行って、ホームから降りてくる父を見るのが楽しかった。

 

寒くなると日が暮れるのが早い。

父がいつもの時間の電車から降りてこない。

 

そんな時、優しく声をかけて着てくれたホームレス風のおじさんがいた。

 

わたしはすぐに仲良しになった。

この頃、人懐っこい子どもになっていた。親から相手にされず、虐待を受ける子は、

こんなふうに育つんだと思う。

 

このおじさん、悪い人だった。

草むらに連れて行かれて、悪戯をされた。

何をされたか、わからないけど、怖かったことしか覚えていない。

 

父の姿が見えるとおじさんは、すぐにその場からいなくなった。

 

父には、何も、言えなかった。

心配かけたり、悲しませたくなくて、

わたしの、こころに秘めることにしたんだと思う。

 

小学校4年生のわたし

 

担任の女の先生は、わたしの家庭のこと、気にかけてくれていた。

 

今思えば、家出して大騒ぎになったことを、学校が知っていたのかもしれない。

 

この頃、母は昼は病院に勤め、夜は義理の父②と一緒に小さな居酒屋を始めていた。

 

お店を開店してしばらく、大おばさんが、店の手伝いに上京していた。

嬉しかった。

 

大おばさんも、わたしに会いたいと思ってくれてたから、こんな母の言いなりになっていたんだと思う、

飲めないお酒も飲んで、歌を歌えと言われると、

 

うさぎ追いし、かの山~

こぶなつりし、かの川~

 

『故郷』

 

歌ってた。

この頃、ラジカセを持ってて、大おばさんの歌声をテープに録音して、

寂しくなると、聴いていた

大好きな人、大好きな歌になった。

大おばさんが来ると、同じ布団で寝てくれた。

嬉しくて嬉しくて涙が出て眠れなかったことを覚えている。

大おばさんも、泣いてた。

 

大おばさんは、大阪に上京するお金を作るために、パートで働いてくれてた。

感謝しかない。

 

この時は、一週間ほど、一緒に過ごせた。

お店が忙しいから、両親は帰って来なかったから、

ずっと、帰って来なくなったらいいのに、とも願ってたわたしがいた。

 

でも、願いは叶わず、大おばさんは滋賀に帰って行った。

 

それからは、昼も夜も一人だった。

一人が怖いと思う日もあったが、母に虐待を受けなくてすむので、

わたしは、また感情を棄てた人形になっていた。

 

ご飯は昼は給食を食べて、夜は、学校から帰ったら、母からの言い付け(洗濯、掃除、靴洗い等)をしてから、

母のお店(居酒屋)に行くと、一品とご飯がでてくる。

 

それを食べて、誰もいない家へひとりで帰る。

 

ネブレクト

近所の人たちは、知っていたと思うし、心配してくれていた。

 

母に気づかれるとわたしが怒られることをわかってて、こっそりと、声を掛けてくれたり、

おうちに入れてくれて、食べるものを与えてくれた。

 

同じ階のマンションに住んでいた、おうちの若くて綺麗なおばさん。

3才くらいの男の子が一人いた。

とっても可愛いかったので、わたしから声を掛けて遊んであげた。

おばさん、とても喜んでくれて、わたしのことを気にかけてくれるようになった。

わたしの両親が、仕事でいない日は、家に入れてくれて、とっても美味しい料理や、おやつを食べさせてくれた。

 

温かい家族…

 

羨ましかった。

なぜ、わたしもここのおうちに生まれて来なかったんだろう、って

一人になると、また涙が溢れた。

 

母のお店にも、わたしのことを気にかけてくれた、お姉さんがいた。

優しくて可愛いお姉さんだった。

わたしがお店に行って、夕食を食べて、一人で帰ろうとすると、

こっそり、100円玉をを握らせてくれた。

この頃、食べ盛りで、お腹が減っていつも我慢していた。

お菓子が欲しくても、母から買って貰えること等ない。

お姉さんから、貰った100円で、駄菓子を買って食べた。

お菓子の袋は、見つからないように、外に捨てた。

 

わたしに、優しくする人に対して、

母は、気が狂うように怒ることをわたしはわかっていたので、

 

必死で、嘘をついたり、隠したりしていた。

 

それでも、子供のすることだから、バレてしまうと、

勿論、わたしはぶたれるし、外に放り出される。体の痛みは消えるので、我慢できる。

 

でも、この頃には、こころも成長してきていたので、

 

わたしに、親切に優しくしてくださる人たちへの、罵声や悪態が辛かった。

子供ながらに必死で守ろうとして嘘をつく。

 

そうすると、母がわたしを罵る。

 

『あんたは、親の言うことを訊かない悪い子だ。』

『嘘ばかりつく本当に悪い子だ!』

 

いつもいつも、『嘘つき、悪い子』と、親に言い続けられると、

 

こころが、痛むんだよ。

 

そして、自分は嘘つきで、悪い子だと思ってしまう。

 

 

いつもいつも、母の許しを買うために、

 

わたしのアダルトチルドレンみゆきちゃんは、

 

『ごめんなさい、ごめんなさい、

もうしません、

これからは、嘘をつかないし、ママのいうことをちゃんとききます』

 

を、繰り返してきたんよ。

 

 

みゆきちゃんのこころは、ボロボロだったよ。

 

あんたのせいで。

(あんた→偽母)

 

 

わたしの心に封印していたこと、

少しづつ、思い起こして書いてます。

 

やっぱり、今でもこの頃のことを思い出すと、

こころが熱くなります。

 

 

少し休憩、