父と50年ぶりの再会⑩
宝石のような野菜
つづきを、書くのが止まってました。
心が、なかなか落ち着かず、
上がったり下がったりで、
50年間、ずっと会いたかった父に会えたのに、
じつは、義理の父だということがわかり、
混乱
(義理の父が、3人いるため、義理の父①と、書きます。)
義理の父①に対して、
『感謝』したり、
『恨んだり』を繰り返していて、
戻ってから、お礼の手紙を書くことに、
躊躇しています。
今は、心から
『ありがとう』
と、言えないので。
義理の父①は、わたしが、2才~今までどのように育ち、
どれほど辛い思いをしたかを、全く知りません。
知っているのは、
可愛かった赤ちゃんの時の、『みゆきちゃん』
そして、最近になって、突然会いたい…とやって来た
おばさんになった『わたし』の姿と、わたしの今の夫と、わたしの職業。
(義理の父①から、見た今のわたしは、仕事も安定し、普通に結婚して、孫にも囲まれ、幸せで、なに不自由ない生活を送っている印象だと思うし、
それ以上の関心もなかったように感じた。
ただ、会話の中で『よく非行に走らず真面目に育って』と、言った。
『そんなことないんだよ。』と言わなかったわたしもいるが…)
逆に、義理の父①の苦労話を聞いた。
自営業してたけど、、倒産して、多額の借金で夜逃げしてね~、
息子は仕事を転々として、最近離婚して、
福井県に戻ってきたたころでね~
自分は、癌があちこちに転移してて、明日もあるか、
とか、
わたしは、仕事柄もあって、義理の父①のこと、興味深く聞いたせいもあり、いろいろ話をしてくれた。
義理の父①も、もしかしたら、
わたしに興味があっても、
男の人だから、
なんでもかんでも、
聞いて失礼にならないかとか思っていたのかもしれない。
どぢらにしても、義理の父①を恨むより、
すべては、わたしの本当の母と
毒親(偽母)のせいで、
わたしと、義理の父①がこんな残酷で哀しすぎる対面をしている。
わたしと、義理の父①は、
初対面の
『赤の他人』
と同じですもん。
何も知らなかったとはいえ、義理の父①に申し訳ないことをしたとも思っている。
でも、義理の父①は、
わたしの出生の秘密をこれ以上は、語ってくれなかった。
わたしの本当の母を知らない、と言った。
しかし、わたしの出生届は、役場に提出したのは、この義理の父①だ。
後にわたし知ることになるが、
出生証明書を誰が書いたか知ってたはず。
なので、
ただ、わたしの毒親(偽母)から頼まれて仕方なく、わたしを自分の戸籍に入れた…は、おかしい。
なぜ、嘘をついてるんだろか、
わたしのこと、教えてよ。
わたしは、誰の子供で、何があったん?
叫びたくなる、
今もまだ、この衝動を押さえるのに、必死で生きてるわたしのこと考えてほしい。
でも、
義理の父①へ心から感謝したいこともある。
理由はわからないが、
おそらくだけど、わたしの本当の母は、わたしを生んだけど、育てることもできない環境にあった人。
貧困、親の反対、父がわからない子
死、病気、
このように、なんらかの事情はあったから、わたしをあげたか、売ったのでしょう。
そこで、気の毒だと思い、
わたしを戸籍に入れてくれた。
そのお陰で、わたしは無戸籍にならず、親に捨てられたことを知らないまま育って来れた。
それと、
再会した次の日の朝…
ホテルのスタッフの人から、
『お父さんから預かりものがあります。早朝6時に持って来てくれて、娘に渡してほしいと言われてました。』
って、
箱の中には、父が趣味で作っている『野菜』が、綺麗に詰め込まれていた。
ピカピカ光った野菜…
こんなに綺麗な野菜を見たことがない。
筆で書いたとても達筆なお手紙も添えられていた。
みゆきさんへ
昨日は遠いところ、会いに来てくれて、とても嬉しかった
素人が作った粗末なものだけど食べてください
と、書かれていた。
隣にいた夫が、この野菜と手紙を見て
泣いてた、
わたしも泣いた、
わたしが、生きてこれたらのは、
義理の父たち3人が、
哀れな女二人(わたしと、偽母)を助けてくれる優しいこころを持ち、
みんな温厚で、広い心をもった
『いい人』
ばかりたったからだと思った。
義理の父①は、今はどうしてるだろうか、
入院して手術をすると言ってた
とっても、気になって心配だけど
わたしは、他人だから、
ここで祈るしかない。
悲しい。
わたしの心から感謝を伝えられるように
心が安定したら、
恨み言を捨てて
感謝の手紙を書こうと思う。
なにより、野菜のお礼を書きたい。
全身癌で犯されてる身体で、
わたしのことだけを思って
朝早く摘みに行ってくれた
温かい気持ち、
本当に心から嬉しかったから。
こんなわたしのために、
ありがたかったよ。
つづく。
ぼちぼち書いてます☘️